平井大島小松川・空手杉原道場

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円満な人間関係と家族の大切さ

人が最も悩みやすいのが人間関係であり、円満な人間関係はどのようにすれば達成できるのかは、多くの人が求める事です。
一見複雑な人間関係も、その基本はすべて家庭にあることを知らなければなりません。
家庭は、夫婦関係を中心として、その上に親子、兄弟、祖父母と孫などの関係で成り立っています。
そして、この関係にこそ、すべての人間関係の基本があり、家庭こそが円満な人間関係を学ぶ重要なベースとなります。
子供が、円満さを家庭の中にみることができなければ、社会や自然の中に円満さをみることができませんし、根本的に人を信じることは難しくなってしまいます。
親の責任は、家庭を通して子供に「円満さ」が存在することを見せることです。その軸は夫婦関係であることはいうまでもありません。

一例をあげてみましょう。
努力した人が、自分からみて努力していない人(本当は努力を計る物差しはない)を批判するケースを例にとりましょう。
どちらが苦労したのか、この儲けはどちらのおかげなのかと争いになることがしばしばあります。
しかし、そこに愛情があれば、相手以上に努力したり苦労する事は喜びになります。
愛情の前に争いはありません。
したがって夫婦が愛し合っていれば、そこに努力や苦労の比較はありません。
例えば「このお金は、私が稼いだ」と主張する行為は愛情が欠如しています。
たとえ夫が金銭を得るために働き、妻が専業主婦であったとしても、それは担当が違うだけで、その金銭は2人で稼いだものです。
努力や苦労は、愛する相手のためなのか、それとも自己主張するための道具なのか、まさにこの夫婦の姿が子供にとっての潜在的価値観になります。
この潜在した価値観は、10才前後(4・5年生くらい)から徐々に表面化してきます。
自分の両親が互いに愛し合っていれば、子供は円満さを見出すでしょうし、成長して社会に出ても円満さを追求するようになるでしょう。
もし、両親が比較していがみあっていれば、子供が成長して社会にでても「競争」は追い落とすいがみ合いとして、「グループ」は利益を追求するために利用するものにしか見えません。

人の見えない人生観は、結婚観となって現れます。
夫婦を含むすべての人間関係を結びつけるものは「愛」です。
「愛」という言葉が日常当たり前のように使われていますが、その意味について深く言及する人は少ないようです。
言葉で誤解しやすいのは、「愛」など同じ日本語を使用している場合、皆同じ意味で使用していると思ってしまうことです。
しかし、言葉の辞書は人それぞれであり、その言葉がより本質的、「愛」「信頼」「友情」「思いやり」などである場合、その差異は大きくなります。
「愛」という言葉は、人格的に成長するほどに、その意味は純粋で明確なものなりますが、反対に安易に生きるほどに、その意味は無造作に拡大され「愛」という言葉が乱立するようになります。単純にいえば、何でも気軽に愛しているといい、「・・愛」という造語が簡単に作られ、「不倫」すら真剣に「愛」していると主張します。
少なくとも修行するものとしては、「愛」と「好き」の違い程度は明確にしなければなりません。
安易に生きていれば「愛」と「好き」の違いはなく、その区別もないままに、また多くは「好き」を「愛」という言葉に代えて男女交際が始まり結婚に至ります。
その結果まっているのは、「こんなはずではなかった。」「何でこうなってしまったの」という自分自身の心の声です。
「愛」の定義が自分の中で定まらぬままに結婚したことに大きな要因があります。
「愛」の定義が定まらぬままに結婚した夫婦が親となっても、子供を愛する「愛」も定まっていないことに気づかなければまりません。

夫婦喧嘩、不倫、子供の虐待など、家庭崩壊は人間にとって最も忌むべきことです。
その問題は、ただただ「愛」の欠如にあることを学ぶ必要があります。
愛していれば「喧嘩」や「虐待」は絶対におきません。
「愛しているのだけれど、つい暴力をふるってしまった」などはありえません。
本人が勝手に愛しているといっているだけで、それを「愛」とは呼べず、「愛」とは真反対の「嫉妬」を「愛」と自分勝手にいっているだけです。
人格形成に対して真剣に修行しなければ、自分自身を日ごろ見つめることはしませんから、どれほど大きく「愛」の意味が崩れていても気づきません。
極端な例ですが、ストーカーもその相手を真剣に「愛」していると信じ込んでいます。
人は単独の存在ではなく、家族という単位でいきていく存在です。
特に子供のとって最も必要なのは家族であることはいうまでもありません。
ゆえに青少年の成長のために、道場と家族が良き連携をしなければなりません。
当道場の指導者も、当然のことながら如何に空手がうまくても、家庭形成のできない者は失格です。
また、本来の家庭像を見本として、道場生をはじめ、グループ全員が家族であると考えたいと思っています。

  • 「愛」の本質的意味について修行の中で常に考える。
  • 「愛」と「好き」の違いについて学ぶ。
  • 家族でも考え方には必ず相違がある。
  • 同じ人でも立場が違えば考えや気持ちが変わることを知る。
  • 結婚とは何かを真剣に考える。
  • 子供を生み育てることを真剣に考える。
  • 一人で生きているのではなく家族の一員としての自覚を持つ。

相手の考えを打ち消すのではなく、聞く気持ちを持つことが大切であり、互いに理解しあうことがすべての始まりであることを知る必要があります。
互いに間違いを指摘し語り合うことは必要ですが、許しあうことはさらに必要であることを学ばなければなりません。
家族の原点は対話と感謝そして理解と許しです。